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11月15日、コープあおもり平和ユニセフ部会では、青森市大空襲三世代交流版画会会長の中村林蔵さんをガイド(講師)に、青森市の戦跡調査めぐりを行いました。
蓮華寺、青森製氷、旧公会堂、連絡船の稼動橋、油川の飛行場、青森高校正門の7ヶ所をめぐり、なぜ、青森市が空襲されたのか? をはじめ、青森空襲について
学びあいました。ふだん何気なく通っている場所が実は空襲で焼け残った建物、空襲で多くの人が亡くなった場所であるということがわかりました。 |
1945年7月28日夜、米軍爆撃機から投下された焼夷弾により青森市は一瞬にして焼き尽くされました。死者731名(実際はもっと多いといわれる)、焼失家屋15,125戸、
罹災者70,166名と北日本最大の被害が報告されているそうです。被害を大きくした原因として、@青函連絡船が攻撃された7月14日〜15日以降、市内からの避難・疎開者
が続出したが、市役所から「28日までに戻ってこないと配給を停止する」という布告が出され、ほとんどの人が戻っていた A空襲の前日、空から予告ビラがまかれたが、
憲兵隊や警察によって読むことを禁止され、回収されたために警告が伝わっていなかった B手作りの防空壕やバケツリレーでの消化はまったく無力で、防空壕での死者
も多かった C投下された焼夷弾は頭部を重くして黄燐をつめ、殺傷力と火力を高めた新型で、青森市がその実験場にされたことなどがあげられているそうです。
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当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りだったため、奇跡的に焼け残ったという蓮華寺。中村さんによれば、空襲の際、軍の兵隊が屋根に水をかけて守ったといいます。
青森市の戦跡めぐりに参加した平和ユニセフ部会のメンバー。右端は、ガイド役の「青森市大空襲三世代交流版画会」会長の中村林蔵さん。
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空襲の戦禍に焼け残った旧青森市公会堂跡地の建物
明治期に建てられ大正期に鉄筋三階建ての建物に増改築された旧公会堂は、東北・北海道を代表する施設であり、文字通り白亜の殿堂だったといわれます。空襲の惨禍に
焼け残り、一時、アメリカ進駐軍の軍司令部がおかれたといいます。その後は青森市スポーツ会館として利用されていましたが、道路の拡幅工事に伴って取り壊され、
今は、建物前面のデザインに当時の面影を残すのみとなっています。
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青森市役所の東側、国道に面した建物
現在の市役所の場所には県病が建っており、東側に並んだ建物には地下室があったといいます。空襲を逃れ、その地下室に逃げ込んだ多くの人がそこで命を落としたと
いわれます。写真は、地下室があったという場所に立つ参加メンバー。
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青森県唯一の民間飛行場として昭和7年に着工、昭和12年に東京―札幌間定期航空路が開設したという青森飛行場。その後、陸軍の飛行場となり、終戦時には、本土決戦
に備えた特攻機の隠匿場所として利用されたという。戦後飛行場は廃止され、唯一残された格納庫も、3年前に解体されています。
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青函連絡船の可動橋
青森空襲に先立つ7月14、15日には県内の軍事、輸送施設も相次いで空襲を受けた。十隻余という青函連絡船もその標的となり、壊滅したという。
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県立青森高校正門
約100年前、悲惨な結末を迎えた陸軍歩兵第五聯隊の八甲田山腹越えの雪中行軍演習ははここから出発したという当時の営門(写真右側)が残されています。
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戦跡・碑めぐりに参加して
最初に訪ねたのは、当時としてはめずらしい鉄筋コンクリート造りという蓮華寺です。青森空襲の際、このお寺を守るために軍の兵隊さんたちが屋根に水をかけて守った
という事をガイドの中村さんが話されていました。蓮華寺を出た私達は、次々と戦争の跡地めぐりをしましたが、青森市の市街地、それもいつも何気なく通っている所に跡地
がたくさんあり、何も知らずに通っていたのだなあと感慨深くなりました。ガイドをしてくださった中村さんの語り口に、戦争の無残、悲惨さはもういらないという叫びを
聞いたような気がしました。青森市役所の前にある、母親が子供二人を抱いているモニュメントを見たとき、平和な時代に生まれ育ったことを本当に幸せだと感じた貴重な
1日でした。(笹森敦子さん)
青森市空襲の話は何度か聞いてはいましたが、今まで何気なく通行していた場所が一瞬にして焼き尽くされた場所であることを改めて実感しました。その被害は、北日本最大
だったと報告されているそうです。青森市だけでなく日本各地、約200の都市市町村に焼夷弾が投下され、犠牲者の多くは非戦闘員の高齢者、女性、子供であったということ
です。部会では昨年7月に下北戦跡めぐりを行っており、憲法9条の問題を「政治問題」としてではなく、主権者として子供たちの未来に責任を持つ立場から関わっていかな
ければと思いました。(市田緑さん)
青森空襲で唯一焼け残ったという石造りの建物と、当時はめずらしいというコンクリート作りの寺等、一面焼け野原になった青森の様子のお話を聞くことができました。何も
無いところからの復興だったということを見学して改めて実感しました。平和の大切さを語り継ぐためにも焼け残った貴重な建物をもっと市民に知らせる取り組みができたら
良いと思いました。(宮本けい子さん)
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※県内各地の戦跡等についてご存知の方がございましたらぜひ、お知らせください。皆さまからの情報をお待ちしております。 (ご存知の方は、パズルの宛て先まで、お手紙・電話・ファックスまたはメールでお願いいたします)
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